鞆の浦 町並み雛祭りの風景 2012年2月18日
せっかく広島へやって来たのだから、と
ポニョの故郷・鞆の浦へと来てみました。
鞆の浦は万葉の昔から
潮待ち港、風待ち港として栄えた港です。
応仁の乱では戦を避けて、
京都の貴族たちがこの地に住んだと言うことです。
また、朝鮮通信使たちが立ち寄った所でもあります。
風光明媚で気候温暖、波も穏やかでいい港です。
今も古い町並みが残り、世界遺産の候補地でもあります。
ところが、背後に山が迫る古い町並みは
道路も狭く、土地もないという不便を
ここに住む地域の人に強いています。
そこで考えられたのが、鞆湾への架橋です。
景観を残すのか、地元の今の生活を優先するのか
延々ともめてきた挙げ句、いよいよ方向が定まりそうです。
一観光客から見ると、一度壊したら取り戻せない景観は
なんとしても次代へと残して欲しいと思うのですが
決めるのは地元の人たちの意志に寄るものです。
はたから部外者がこうしろ、いやああしろと言うのは
間違っていると思うのです。ただ、判断の参考にと
意見だけは言うべきではないかとも思いますが。
その鞆の浦では今、町並み雛祭りが行われています。
それぞれの家や商家に伝わる雛人形を
外から見える玄関や店頭に飾って、
訪れる人に見てもらおうと言うわけです。
それを見たくて、鞆の浦へ寄ってきたわけです。
保命酒の老舗や薬局、カメラ屋さんや
一般のおうちでも、ちょっと玄関に飾られていて
古い町並みが、少し華やかになって
町中が雛祭りという感じでした。
僕はと言えば、医王寺まで登って
鞆の浦の全景の写真を撮ったり
行きたかった村上パン店に寄って
パンを買ったりしてご機嫌。
村上さんの近くでは、お婆ちゃんがハモを焼いて
いい香りを漂わせながら、販売されていました。
香りに惹かれて食べたかったのですが、
道ばたで食べるには寒すぎて断念。
帰りのバスの中で、「あなごおいしそうだったなぁ」と
後悔しながら福山へ戻ってきたのでした。
そうそう、福山には鞆鉄道バスというバスがあり
かつての軽便鉄道の名残を残しています。
土地のお婆ちゃんに聞くと
遅れることもしょっちゅうで、坂では客が降りて押したそう。
でも、そんな小さな線路でも残っていれば
いい観光資源になったのになぁと
鉄分の入っている僕は思うのでした。
鞆駅があったところは、バス停兼観光案内所になっています。
そこには何枚か、かつての鞆鉄道の写真がありました。
ひょっとすると、福山側の駅跡が駅前のトモテツビル?
うーん、それは確認できませんでした。
また次回に調べてみたいと思います。
自転車でもあれば廃線跡を探してみるというのも
鉄分も補給できて、楽しいかもしれません。
よろしければ、プチッとお願いします ↓

ポニョの故郷・鞆の浦へと来てみました。
鞆の浦は万葉の昔から
潮待ち港、風待ち港として栄えた港です。
応仁の乱では戦を避けて、
京都の貴族たちがこの地に住んだと言うことです。
また、朝鮮通信使たちが立ち寄った所でもあります。
風光明媚で気候温暖、波も穏やかでいい港です。
今も古い町並みが残り、世界遺産の候補地でもあります。
ところが、背後に山が迫る古い町並みは
道路も狭く、土地もないという不便を
ここに住む地域の人に強いています。
そこで考えられたのが、鞆湾への架橋です。
景観を残すのか、地元の今の生活を優先するのか
延々ともめてきた挙げ句、いよいよ方向が定まりそうです。
一観光客から見ると、一度壊したら取り戻せない景観は
なんとしても次代へと残して欲しいと思うのですが
決めるのは地元の人たちの意志に寄るものです。
はたから部外者がこうしろ、いやああしろと言うのは
間違っていると思うのです。ただ、判断の参考にと
意見だけは言うべきではないかとも思いますが。
その鞆の浦では今、町並み雛祭りが行われています。
それぞれの家や商家に伝わる雛人形を
外から見える玄関や店頭に飾って、
訪れる人に見てもらおうと言うわけです。
それを見たくて、鞆の浦へ寄ってきたわけです。
保命酒の老舗や薬局、カメラ屋さんや
一般のおうちでも、ちょっと玄関に飾られていて
古い町並みが、少し華やかになって
町中が雛祭りという感じでした。
僕はと言えば、医王寺まで登って
鞆の浦の全景の写真を撮ったり
行きたかった村上パン店に寄って
パンを買ったりしてご機嫌。
村上さんの近くでは、お婆ちゃんがハモを焼いて
いい香りを漂わせながら、販売されていました。
香りに惹かれて食べたかったのですが、
道ばたで食べるには寒すぎて断念。
帰りのバスの中で、「あなごおいしそうだったなぁ」と
後悔しながら福山へ戻ってきたのでした。
そうそう、福山には鞆鉄道バスというバスがあり
かつての軽便鉄道の名残を残しています。
土地のお婆ちゃんに聞くと
遅れることもしょっちゅうで、坂では客が降りて押したそう。
でも、そんな小さな線路でも残っていれば
いい観光資源になったのになぁと
鉄分の入っている僕は思うのでした。
鞆駅があったところは、バス停兼観光案内所になっています。
そこには何枚か、かつての鞆鉄道の写真がありました。
ひょっとすると、福山側の駅跡が駅前のトモテツビル?
うーん、それは確認できませんでした。
また次回に調べてみたいと思います。
自転車でもあれば廃線跡を探してみるというのも
鉄分も補給できて、楽しいかもしれません。
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